最近、私の身の回りで「自分が生きている意味が分からない」とか「自分が生まれてきた意味がわからない」と言った、人間の生に対する根源的な疑問を聞くことが多くなりました。
こうした疑問は、私も若い頃から抱いており、その結論には今現在も至っておりません。ただ言えることは、「その意味を問い続けることが生きるということ」のような気がしています。
でも時には、もう生きる意味等どうでもよくなり、「今のままでいいよね。頑張らなくても。」と自分に言ってあげたくなる時もあります。
そんな時に、励まされる言葉があります。下記の【生き甲斐】という詩です。
死のうと思っても死ねない時があり、
また、死にたくないと思っても奪われる命もある。
そんな人生を生きてくると、やはり思うことは、
「自分の意思で生きているのではないのではないか?」という疑問です。
そいていつも、下記の詩を思い起こします。
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【生き甲斐】
それは、世に生きている価値を見出すなり。
生きる価値あることであり、
価値ある生き方であり、
世に役立つことである。
我が作す業、
たとえ些細な事であろうとも、
それがたとえ他に見出されざる事であろうとも、
誰も気付く事なき縁の下の力持ちであろうとも、
世に役立つことには代わりはない。
それは我が作す事が、
或いは他の働きの助けとなる事もあり、
他の働きのもととなる事もあり、
また同じような幾人かの力が集まって、
知らず識らずに、
世のお役に立つ事もあり、
或いは他の働きの障りを除いて、
助けとなる事もあるであろう。
己がささやかな働きに、
誰も気付くまい。
然し、
常に神仏のみ、
その生き得る価値に付いて、
生きるべき道を照らされ、
庇護の手を、
差し伸べておられるのである。
唯見れば、
何の妙なき路端の
人々の足に踏みにじられる
雑草さえも
土の乾きを防ぎ、
土の崩れを守り、
そして自らも、
その土とその湿いによって
強く生きる道を
与えられているのである。
そして、
そこに自らの生きる甲斐
天賦の価値を
見出すのである。
尊きものは
生き甲斐ある生活を
見出すことである。
(当来佛)
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