宇宙万有の一切の諸行、すなわち大自然の運行・変化は、人間が知ろうが知るまいが、信じようと信じまいが、一切の生物の意志に左右されることなく、瞬時の休みもなく、一定の法則によって運行している。しかも、その法則を、知っているのと知らないのと、利用するのと利用しないのと、法に順応するのと法に逆行するのと、では、人それぞれの生活、職場、運命に、利害損失、栄枯盛衰、吉凶禍福、苦楽幸不幸の影響大きく、差異を生じる。それ故に、世界各国ともに学校での教育に力を入れているのである。しかし、残念なことに現在の教育は、専ら形而下的な一面しか取り扱われていない。
この形而上の法則、能きを形而下の法則、能きと組み合わせ、併合して解明する学問、教えが形而上学であり、そして、教え、教学を生活の上に活かして実践する行動が信仰という。形而上学の学びと実践が相まって、自ら行動する姿が信仰で、盲目的に信じることが信仰ではない、と初めて知った。それに比べると、今まで出会った宗教やスピリチュアル系のグループも、結局、信じるに値する根拠は?と言われても、それを証明するだけの明確な根拠もなく、自らの考え、自らの思いを信じるレベルであった。
自らの中に真我という神が存在するとか、自らの中の佛性が尊いとか、自らの修練で自らの中から神性を引き出せるなどと、勘違いするものだから、迷い惑う人生を繰り返す。