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私達はなぜ形而上学を勉強するのでしょうか?

私達はなぜ形而上学を勉強するのでしょうか?

ひとつは、幸せになりたいから。つまり、自分の幸せのため。もうひとつは、今の苦しみから逃れたいため。つまり、自分の問題解決のため。人によっては、精神修養や真理の追求と言う方もいらっしゃるかも知れません。

もちろんそれは大事なことではありますが、当来佛ご出自の目的からしますと、「五濁の世を正すため、世の役に立っていく事」が最終的な目的となります。

しかし、勘違いしないで頂きたいのは、「世の役に立つ」立ち方ですが、自分本位に自己主張を繰り返すばかりで、「実はさほど世の役には立っていない」場合があります。

当来佛の言う「世の役に立て」と言うのは、当来佛の「形而上学」に立って、関わる方々にその教えを正しく伝えて行くことではないでしょうか。私達は、関わる方々に当来佛の教えを正しく伝えて行く為に、勉強をしているのではないでしょうか。また、それが当来佛のご意趣ではないでしょうか。

当来佛は、「お前たちを幸せにすることや苦しみを取るのは、簡単なことだ。だから世の役に立つよう努力しろ。」と。つまり、人の為、人の為、と関わっているうちに、知らず知らず、自分もまた幸せになり、自分の問題も解決していく、ということです。

とても逆説的な論理ですが、私達が勉強しているのは、神の力の能き方の研究です。神の意思が存在するなら、そのご意趣が成就するように全てが動き、それに向かってすべてが動いているはずです。神の能きを享受しようと考えるなら、神のご意趣に沿った動きを私達もすることが、一番神の抵抗を受けず、流れに沿って、楽に、目的地にたどり着く方法だと考えています。

だから、逆説的ではありますが、私達が勉強をする理由や意味は、形而上学の教えで、他の人の役に立つため(世の役に立つため)です。それが、まわりまわって、自分の幸せや自分の問題解決になって行くということです。これを回向と言います。