「斉」という心掛けのお話
当来佛の経典の中には、「斉」という心掛けに付いて書かれていますが、今日はそんなお話から。
斉とは、揃える、等しくするr、整える、規律正しくする、治まる、礼儀作法を正しく慎むという事とあります。また、世の中で、社会生活を多人数で為して行く上に於いて、お互いに不快な思いをしないよう、快く付き合い、交際が出来るように心がけるよう、修養するよう語られておられます。
これを「修斉の六箇条」と言います。
その六箇条とは、
①立ち居振る舞いを美しくすること。
②言辞・動作・態度・衛生の心掛けや作法。
③社会に処する所の躾。
を基本としており、以下の六箇条を上げています。
1.長幼の序。
2.親疎の別。
3.衛生の辨。
4.廉平謙虚の心掛け。
5.信義。
6.公私の別と社会奉仕。
以上です。
詳細は別途記して参りますが、経典の最終章に記された記述ですので、教学・霊観の両方を修めた結果を日常生活に現して行く作業として、「斉」があると捉えるべきだと考えます。
私達の勉強は和集の勉強でもあります。私達は少なくとも、この勉強会にいらっしゃる方々や公の場では、「斉」を実践する者として、ありたいと私は思います。よくある井戸端会議のような、陰口や噂話を言いあってみたり、誰かの悪口で盛り上がってみたり、などの品性を下げる話が最近取り上げられておりますが、もうそろそろおしまいにしたいところです。
人に不快な思いをさせることは「斉」に反しますが、自分が不快だからと言って、それを吐き出して相手も不快にさせるのはどうかと思います。また、自らのみ割り切ったからと知らんふりを決め込み、相手が不快な思いをしているのに関与しないのも如何なものかと。それこそ、私達は合図と取って悟る機会ではないかと思います。「斉」という心がけは、私達が是非とも身に付けていかなければならない心掛けであろうと思います。